〜壱〜

私は小さい頃から"タ行"がうまく言えなかったんです。

いつも「タタタッ」って言葉がつまっちゃってね・・・。

麻布中学にバス通学をしていた時も大変でした。

昔は乗車すると鞄を首からぶら下げた車掌さんに行く先を伝えて、切符を買うという規則があってね。

帰りは麻布から虎ノ門。

でもタ行が出てこないから「虎ノ門まで」って言えない。

次は田村町。

これまたダメで、結局、毎日、新橋まで行って、二駅歩いて戻るんですよ(笑)。

そんなふうだからタ行を克服したくて、中学の時から演劇部に入部したんです。

そこで先生がおっしゃっるには

「歌えば言葉はつかえない。 歌舞伎のセリフは歌うようなリズムがあるから

演劇が好きなら歌舞伎を勉強できる日大芸術学部に行ってみたら・・・」

という事で日芸に入りました。

大学卒業後は歌舞伎界へ進むつもりでしたが、就職先にきめていた

関西歌舞伎が倒産し、テレビの世界へ。

「熱血カクタス」という番組に出て、白い馬にまたがりギターを背負い、

ヒーローを やっていたんですよ(笑)

それでもセリフにタ行があると苦労しましたね。

しばらくすると青二の現社長から(日芸同期)

「声専門のプロダクションを始めたいから、 いっその事、声優の専門家にならんか」

と言われてね。

声優・柴田秀勝の誕生です。

初めての仕事は「狼少年ケン」のゲスト。

この時にやはり慣れなくて 「君は声優に向かない」と言われ

本当にやめようと思いま た。暫くして社長から「タイガーマスク・ミスターX」の話が。

決まり文句は「フッフッフ、タイガーめ」ですよ。またタ行。

でもね、含み笑いからいくタ行だから リズムにのれたというか、とにかく初めてタ行を克服できました。

それからは精神的にも余裕が出たんじゃないかな、どんな役がきても大丈夫。

今は平気でナレーションまでやるようになりましたからね。

何年か前には「水戸黄門」のオーディションを受けてナレーションをやることに。

3年程続きました。あの七五調の語りは 40年前に歌舞伎でさんざんやってきたもの。

だからこの業界で七五調を読ませたら俺の右に出る奴はいないと いった自惚れもありましたよ(笑)

でも、40年たってから役立つとは、夢にも思いませんでした。

役者は体験する事全てに無駄になることは何ひとつないんです。

皆さんも養成所に入る前にやるべき心構えとトレーニングがたくさんあります。


次回はそれをお伝えしていきましょう。

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